BLOG ブログ

MURADOの原点、アブ・アリーとの出会い

みなさん、こんにちは。
今日は私たちMURADOの原点であり、私の師匠でもあるMr.オリーブオイル、アブ・アリーこと
ムハンマド アル・ジャーズィー氏のお話をしたいと思います。
彼無くしてMURADOはないと私たちは思っています。
彼の追悼の意も込めて彼との出会いをお話ししたいと思います。

オリーブオイルを始めたい⇒アブ・アリーでしょ!

父がエルサレム出身のパレスチナ人ハーフである私の食卓はアラビア料理+和食が占めていました。そのアラビア料理で大事なのがオリーブオイル!幼いころに食べたアラビア料理とオリーブオイルの味、結構忘れないものだなと改めて大人になって感じました。

というのも日本で市販されているオリーブオイルの味にどうしても馴染めないんです。何か味に違和感があるなと思っていました。そんな時ヨルダンを訪ねてアラビア料理を食べると「この味だ!」と思うようになり、私たちでオリーブオイルを輸入できないだろうか、と考えました。暫くして個人的な事情でヨルダンに住むようになりオリーブオイルを本格的に取り扱おうとなりました。そこでオリーブオイルならやはり「アブ・アリー」でしょ!と思い、彼を訪ねました。

そうここからMURADOの全てが始まりました。因みに彼の本名はムハンマド アル・ジャーズィー、アブ・アリーとはアラビアの世界でその人の敬称で意味はアリーの父親です。わたしたちアラブ人はその人の長男の父親という呼び名で尊敬をこめて「アブなになに」と呼びます。彼の長男アリーの父親「アブ・アリー」と尊敬込めてそう呼んでいます。

Mr.ムハンマド アル・ジャーズィー

彼の第一印象は「はじめて会った気がしない」でした。とにかく明るくてジョークが面白い愉快なおじさん!そして決して間違いようのないハスキーボイス!二階のオフィスで彼の帰りを待っていると下の階から彼のハスキーボイスが聞こえてくる、アブ・アリーだ!すぐにわかる。そんな人でした
。ところがオリーブオイルの話になると真剣そのもの、私が「日本にこの美味しいオリーブオイルを出したい」と問いかけると「一緒に努力と投資を惜しまずにやろう!」と快諾してくれました。
彼自身JETROの展示会で日本には数回来たことがあり、自身のオリーブ商品を出展したことがありました。その経験から私に不思議そうに尋ねてきました。

「日本人はとてもにこやかで丁寧に話をしてくれた、展示会でね。だからこれは仕事になるだろうと期待してメールを何社かにしたんだ。ところが全く返事が来ない!これはどういうことなんだ?日本人はとても礼節を大切にすると聞いているし、展示会ではとても好印象だった。ところが全く返事が来ない!理解に苦しい!」

「日本の会社は基本的に外国の知らない会社は相手にしない、何かあってからでは責任がとれないからね。だから私とアブ・アリーで一緒にやる必要がある。アブ・アリーが美味しいオリーブオイルを作って、私たちが日本で、日本語で販売をする。」

こうして、一緒に努力と投資を惜しまず日本市場を開拓すると決意しました。

アル・ジャージィー家の情熱

アブ・アリーのファミリーはヨルダン南部の都市マアーンの大きな部族でもともと遊牧民。そしてアブ・アリーのお父さんはヨルダン軍の将軍で第4次中東戦争時は司令官を務めていました。そしてその功績を前国王フセインが称えてマアーンに土地を与え、お父さんはこの土地に根差し子や孫に伝えていくと言っていたそうです。

アブ・アリーはそのお父さんの意思を受け継ぎ10数年かけてオリーブ農園を開拓、育てたと教えてくれました。「ここは父が残してくれた一族の宝物!これを次の世代に繋いでいくことが私の使命だ。」とも言っていました。カッコいい!そんなアブ・アリーは自分の言った事、私と交わした約束は必ず守ってくれました。普段は陽気で楽しいおじさんですが、とても誇り高く、優しく、しかし仕事には情熱的で真っすぐな人でした。そして何よりアブ・アリーの凄いところは誰一人と彼を悪く言う人がいないのです。シーズン中は常に農園にいますがとにかくいろんな人がアブ・アリーを訪ねてくるのです。

アブ・アリーはどんなに忙しくとも笑顔で客人をもてなしていました。凄い人だなと本当に思いました。そんなアブ・アリーと出会わなければMURADOはなかったと断言できます。
本当に仕事とは人との絆だなとアブ・アリーは教えてくれました。

新しい商品を作り出す

私はまずオリーブオイルを勉強しました。何度もアブ・アリーのオフィスに通い、農園を訪ね、製造現場を見ました。

「美味しいオイルを作るには美味しい果物を育てる必要がある!」とアブ・アリーは言っていました。

私はこの言葉好きです。まさにそのものずばりと思いました。勿論その後の製造プロセスも大切なものばかりです。そうして搾ったオリーブオイルを今度はどのように商品化するかを議論しました。ボトルはどうするか?ラベルはどうするか?ネーミングは何がいいか?などかなりの課題をひとつひとつ時間をかけて議論し、解決していきました。今となっては素敵な思い出です。

突然のお別れ

ある年、いつもながらオリーブオイルのシーズンが到来して仕事の話をしたくアブ・アリーに電話をしましたが連絡がつきませんでした。結構あることなので後から電話してくるだろうと思い、気長に待っていました。しかし、暫くしても連絡がないのでアブ・アリーのドライバーのムーサに電話をしました。「アブ・アリーが電話にでないんだけど、ミーティングがしたいから今日はオフィスに来ている?」と尋ねました。「アブ・アリーは亡くなったよ。」返事が返ってきました。「冗談でしょ?」

「いや、本当だ。彼は亡くなったんだ。」重ねて言われました。遂2日前に電話で話したばかりだったアブ・アリーが亡くなった?とても信じられませんでした。いやもしかしたら私のアラビア語力が足りないからちゃんと理解できてないのかもしれないと思い、父に電話してもらったことを覚えています。しかし、アブ・アリーは本当に突然この世を去りました。彼は多趣味な人で1日前に彼は別荘でバギーを乗っていて急斜面を走っていたところ横転して下敷きになってしまったそうです。あとからそう聞いたとき急に力がなくなり呆然としてしまいました。イスラームでは亡くなったその日の日没までに埋葬する習わしがあり、その後に3日間お葬式を執り行います。私たち家族は勿論3日間参列しました。また、物凄い人が葬式に参列していて本当に人望のある人だと改めて感じました。そして彼がこの世を去った実感が少しずつ沸いてきました。

最後にアブ・アリーのような人に出会えたことは私にとって幸せでした。一緒に一から商品開発を行い、育ててあげたこと。彼のオフィスで話したこと、一緒にジョークで笑いあったこと、かけがえのない時間でした。とはいえ残された私たちはこれからも事業を行い生きていかなければならないとも思わせてくれました。彼は自分の生涯を掛けて作り上げた事業を次の世代に残していました。彼の末子が受け継ぎ今は一緒に仕事をしています。アブ・アリーと出会ったことで私たちはMURADOを作り上げることが出来ました。私も彼のようにMURADOを育て次の世代に引き継いでいきたいと思っています。

アブ・アリーの魂にアッラーの慈悲があらん事を