みなさん、いかがお過ごしですか?
今回から少しこのブログでもイスラームの英雄譚(えいゆうたん)を交えて行こうと思います。
日本では世界史を習いますがあまりイスラームを取り上げませんよね!
でもイスラームなくして現在の世界史はないと断言できますし、欧州の繁栄もありえません。
なので、当ブログではイスラームの歴史よりもそれを支えた人物にフォーカスしてお送りしたいと思います。
1回目は、「ハーレッド・イブン・アル=ワリード」、「アッラーの剣」の異名を持つ無敵の指揮官です。
彼無くしてイスラームの軍事的拡大はなかったといっても過言ではありません。
今回の前編ではイスラームの拡大期の彼の活躍を見て行きましょう。
1. それは世界の辺境アラビアから突如現れた…!
約400年続いたアジアの大帝国サーサーン朝ペルシアはわずか20数年で最後の皇帝ヤズデギルド3世が暗殺されて滅亡しました。
原因は様々あると思いますが、633年にイスラームの指揮官ハーレッド・イブン・アル=ワリードのメソポタミア南部サワード地方に侵攻した時、既にサーサーン朝は疲弊していました、569年から始まった東ローマ帝国と度重なる戦争で大きく国力を疲弊させ、更に内乱、疫病、河川の氾濫による農地の消失などサーサーン朝の国民も疲れていました。
そんな時にそれは現れたのは、イスラームという新興宗教で統一されたアラブ人でした。おそらくこの時代の人々誰もがサーサーン朝が滅亡するなんて夢にも思っていなかったことでしょう。ましてや宿敵ローマによるものではなく南方からの田舎者たちによってなんて…。
2. 「引き抜かれしアッラーの剣」
さて、ペルシア滅亡のファーストアタックを指揮したのが今回の主役「アッサイフッラー・アル=マスルーブ」、“抜かれたアッラーの剣”の異名を持つ指揮官ハーリド・イブン・アル=ワリードという軍人です。
イスラームの大征服を語る時に何人かの優秀な指揮官が出てきます。その中でも特に好きな二人がこの「アッサイフッラー」ハーリド・イブン・アル=ワリードです。
もう一人はエジプトを征服した指揮官アムル・イブン・アル=アース、この人の話も面白いのですがそれはまたの機会に…
ハーリドは592年メッカ生まれのクライシュ族の人です。彼もクライシュ族の一派で貴族階級の出身で彼の一族はかなりの既読権益を有していました。ハーリドの父は反イスラームの急先鋒で預言者殺害を企てたほどです。
当然ハーリドもその影響から当初は反イスラームでした。ハーリド天才的軍人でウフドの戦いで200騎を率いてイスラーム軍の背後をつき預言者を負傷させるほどの戦果を挙げたことで有名です。
預言者率いるイスラーム軍がメッカ相手に唯一負けた戦いが625年3月に起こったオホドゥの戦い、そしてこの戦いで大戦果をあげたのがハーリドです。その後メッカとイスラームとの間にホダイビーヤの和議が成立、この時にハーリドはイスラームに改宗したと伝えられます。
その後ハーリドはイスラームの剣として比類ない活躍をします。
3. ここで当時のメッカの事情を少し…
602年~628年に起こったローマ帝国VSサーサーン朝ペルシアの大戦争がありました。
両帝国は一進一退の攻防を25年近く行い、双方得る者はほとんどなくただただ疲弊しただけの結果に終わった大戦争、これは思わぬ副産物を生みました。
これまでの東西交易は帝国領内を通っていましたが、この戦争を契機に迂回ルートが採られました。アラビア海からイエメンに陸揚げされ砂漠を北上するルートです。そこでアラブ人の手を借りる必要がありメッカの隊商たちが登場します。彼等はこの交易で莫大な富を得ました。
しかし同時に部族間の闘争と階級社会であるアラブ人同士の激しい貧富の格差が生じました。また、メッカという地はアラビアの諸部族の氏神が祀られている聖地でもありました。よって各部族の喜捨や巡礼時に落とすお金も莫大になりました。とはいえ勿論のことですがこの富の再分配は全く行われていなかったようです。
このような社会背景からイスラームの啓示が預言者ムハンマドに下りました。
しかしこの啓示は貴族から激しい反発を招きました。当然といえば当然で、貴族の富の独占を完全に否定する教えでしたかね!特にハーリドの父方の一族は預言者を激しく憎んでいたようです…
このイスラームの啓示と当時の社会背景はとても面白いのでまた別の機会に取り上げたいと思います!
ちょっとだけヒント、当時女性の改宗者が多かったようです。イスラームの信徒たちがメディナにヒジュラ(遷都)した時にハーリドの母ルバーバそして姉のマイムーナがイスラームに改宗したと伝わります。
4. ハーリドの華麗なる戦い!
改宗したハーリド、今度はイスラームの剣として最前線で軍の指揮を執るようになります。
イスラームは当初東ローマ帝国、ペルシア帝国にイスラームを受け入れるよう要請をします。受け入れなければジズィヤの貢納を要求します。当然両帝国は受け入れず交戦状態になりました。
イスラームは当初北進東ローマ帝国と交戦しますが、帝国に幾人もの指揮官を殺され苦戦を強いられていました。そこで預言者はハーリドを指揮官として派遣します。この時に預言者は「アッサイフッラー」との名をハーリドに与えました。
少し時代を遡って、当初ハーリドはムハジラート・アル=アラブという遊牧民軍を率いてアラビア半島を転戦し、「ジハード」のもと有力部族を撃破していきました。イスラーム共同体は彼の活躍で急拡大をしていきました。彼は天才的な用兵で敵を急襲、そして一旦引き、敵の戦線を乱し、反転し、敵を包囲殲滅するというヒットアンドアウェイという戦法が得意でした。騎兵ならではの戦法ですね。しかも彼の軍団の行軍は群を抜いて素早く、彼は急に砂漠の彼方から出現するまさに神出鬼没でもあったようです。
文章にすると簡単ですがこれがいかに凄いかはその後の活躍を見ればわかるかと思います。
5. イスラーム分裂の危機
632年預言者は亡くなります。この時彼は後事の取り決めを残さなかったと伝わります。つまり共同体の後継問題が起こります。詳しくはイスラームのお話をするときに書きますが、預言者の友で共同体の最長老アブ=バケル、もしくは預言者の従妹でハーシム家のアリ・イブン=アビ・ターレブかで割れました。ハーリドはアブ=バケルを強く推したと伝わります。
預言者が亡くなったことでアラビア半島の各部族は契約が終了したとし離反していきました。まさに分裂と離脱の危機にイスラームは直面します。「ハリーファ=アッラスールッラー」(アッラーの預言者の代理人)と名乗ったアブ=バケルはハーリドにこの離反者達「リッダ」を討伐するよう命じました。
最初はイスラーム拡大「ジハード」の為に、そして今度はイスラーム離反者の討伐の為にハーリドは2度アラビア半島を東奔西走します。彼はこの時も圧倒的な戦術で離反者を次々と討伐、中でもブザカの戦いが決定的でした。アラビア半島中央部がこの時にイスラームの軍門に下りました。
この後ハーリドはマーリク=イブン・ヌワイラという徴税請負人を討伐します。誰でも税の貢納はしたくないということですね。ハーリドは彼とその部族もろとも処刑しマーリクの妻を自身の妻にしてしまいました。
これは彼にとっと後々、相当尾を引くことになる出来事でした。共同体主任補佐官のオマル、後の2代目ハリーファとの亀裂を生じさせます。とはいえ彼の活躍無くしてイスラームの再統一はなかった、もしくはかなり長引いた可能性は非常に高いと言えます。彼の「引き抜かれたアッラーの剣」の異名は伊達じゃないですね。
前編のお話はここまでにしましょう!
反イスラームの急先鋒、イスラームの拡大、離反者討伐と戦いに次ぐ戦いのハーリドでしたが次回後編はついにローマ、ペルシア戦役、そして彼の終焉のお話をします。